飲食記録さんの観察記録&小説
飲食記録リレー小説連載開始!!→終了しました毎週火曜日更新第九話  飲食記録リレー小説とは何だ?過去分8

目次

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Last Update
2009/5/10
ページの更新が停滞気味なので、近日中にリニューアルしたく考えています。非常に個人的な「日記」は稼働しております。

2007/2/14
WORKSに作品1点追加



2004/9/1
開設



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同人雑誌「コワカエ」
内容は主に小説と批評です。



第三号2009.5刊行

第二号2008.6刊行

第一号2004.4刊行


飲食記録リレー小説

第九話 これ以上書くとあとから消えていくようだ
2006/10/15
(志方)


 
 2005/11/28 晴れそろそろ寒くなるらしい
牛乳・ローストビーフと水菜炒めのごまパンサンド
〈KURE〉でチャーシューみそラーメン
玉子とベーコンサンド
ヌスギィッフェル・牛乳
うな玉丼・黒ビール・大根おろし・アボカド・ビール
チョコレート・ウーロン茶
焼き芋生八橋・ほうじ茶

Last updated 2005/11/29 0:48:51 AM
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2005/11/27
夕焼けのきれいな晴れ
牛乳・ブラウニー・マーガリンぬりごま食パン
中華茶漬け・チョコレート・白い恋人
〈忠僕茶屋〉でぜんざい
〈551蓬莱〉の豚まん
さば塩焼き・甘酢団子・レタス・麦ごはん・ビール
チョコレート

Last updated 2005/11/28 0:03:13 AM
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2005/11/26
本当にずっと続く晴れ
コーヒー・トースト
〈学園食堂〉でチキンカツ定食
BOSSBLACK・クランキーチョコ
ココア・のりからサンド
海老と三種豆のキッシュ・発泡白ワイン・
せんべい・チョコレート・インスタントみそラーメン

Last updated 2005/11/27 0:16:55 AM
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2005/11/25
三ヶ月予報で暖冬と発表晴れ
〈ドトール〉でグレープフルーツジュース
〈Heritage〉でランチ(サラダ・かぼちゃのスープ・
 鮮魚のオーブン焼きパプリカソース温野菜ぞえ・
 バタぬりパン・デザート二種・コーヒー)
ほうじ茶・豆モチパン・もちあんぱん
青梗菜と豚肉生姜焼き・麦ごはん・いちじくパン・
牛乳・ラフランス・柿・赤ワイン・チョコレート

Last updated 2005/11/26 1:33:08 AM
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 パソコンを打つ私の隣では、死骸をむさぼるハゲタカと、地中から沸いて出た小さな生き物たち、そして照りつける太陽のお陰で、からりと白骨化した元部下が横たわっていた。
 死骸を食らうことで生き延びるハゲタカが、どういった経緯からか生きている人間を襲おうと思いたち最初の標的となったのがこの私で、その私をかばう形で犠牲者となったのがこの部下だった。今はもう名前すら思い出せない。連日の日照りは、私の脳を蒸発させ、記憶という機能をことごとく焼いてしまったようだ。
 私をかばって逝った部下。なすすべもなく、私の横でついばまれる部下。焼く太陽。
 その体験は私のこれまでの「生」への概念をすべて焼き尽くし、食い破ってしまった。
 残された私に出来たことは、物語の中で生きることだった。私は書いた。このような飢えに苛まれることなく生きてきたこれまでの半生を。いやこれからの半生か?どちらなのかは判別が付かない。どちらでも構わない気がした。
 会社員を続けながらグルメポーターを半ば本気で目指し始めていた私に突然つげられた異国への転勤。部下一人と共に問答無用で送られた国で待っていたのは突然のクーデター。会社のあった事務所は人民軍と当局とのかち合いに飲まれ瓦礫と化してしまった。頼るべき人間の居ない異国の地で生きていくためには、私もまた人民軍の一人となり戦いの中に入っていくことだった。
 だが、果たして本当にそうだったのだろうか。今から思えば、他にも道はなかっただろうか。日本にだって帰ろうと思えば帰れたのではないだろうか。人民軍に入るという行為も、現地人に「おまえは我々の味方なのか?」と問われたからであって、決して人民軍の考えに賛同し、同士となったわけではない。
 生まれたばかりの私は駅の薄汚い便器の中に捨てられた、哀れな子どもだった。裕福な家庭に生まれ育ち、場合によっては家系がそうであるという理由で政治の世界で檜舞台に上がるということもあっただろうに、よりによって私は独りで生きる寂しい独身女性に拾われ父親という存在(さらには本当の母親)を知らずに慎ましく育ったのである。私を捨てたひどい母親。よく考えれば、生を受けた瞬間から私には能動的な選択など出来なかったのである。
 だが、果たして能動的な選択が本当に不可能であったのかとも思う。あの薄暗く、しかし妙に落ち着いた便器の中におかれた際に、大きな泣き声を上げていれば、そこで捨てられることは回避出来たのではなかったか。ハゲワシから私の身を守った部下を、ハラワタをぶちまけようとするハゲワシを払いのけ、街まで引きずっていったならば、部下はもしかしたら助かったのではないのか。
 生まれ落ちる事が原理的に選択不可能であったとするならば、その後のあらゆることは選択可能であったのかも知れない。私が生きている内に本当に選択をしていた瞬間というのは、食べ物を食べるということだけだったのか。今日は何を食べよう、次はどこに箸を付けよう。最も私が主体的に生きた瞬間だ。時には時間がなく、駅前の立ち食いそばを流し込むしかできなかったこともあるが、それはごく特殊な例である。
 だから、私は食べるという行為にこうまで惹かれ続けていたのか。
 私は干からびてしわが寄り、どこにあるのかさえ既に分からなくなった唇を動かしながらパソコンのキーを打ち続けた。さぁ、選び取ろう。私の生を。生き方を。
 骨と皮だけとなった手をキーにたたきつける。

2005/11/29
少し寒い晴れはじめての吉野家
〈MACOU'S BAGEL CAFE〉でフィッシュフライのラビゴットソース・
 温野菜アンチョビオイル添え・フライドポテト・カフェラテ
緑茶
手巻き寿司(まぐろ・うなぎ胡瓜・太巻き)
ガーナチョコレート
〈吉野家〉で豚丼
ボスワールドエグゼクティブブレンド
スモークサーモン生春巻・牛乳

 今日食べたものを書き付ける。あぁ、ほら、すべてが私の自由だ。私はこの年になって生まれて初めて吉野屋へ赴く。しかも食の旅に出た先でだ。私はそこで初めて豚丼を食べる。期待したよりもたいしたことがなくてこれなら噂の牛丼もたいしたことも無かったのかなと思う。それともこの金沢の豚丼が悪かったのか。私は店を出て新たな店を探しさまよい歩く。すると行く手に古びて少しかたむいた寿司屋が見つかる。全身が木造で、茶色い柱は長年の風雨のために黒ずみ、細かな日々が縦横に走っている。木と木が組み合わさっている箇所は隙間が空いていて、もうこの建物が限界に近いことがうかがい知れる。そうだ、ここは幼い頃母親につれて来てもらったあの寿司屋だ。店の中では見かけによらない、ファミレス風のマニュアル対応で迎えられる。そういうことにしよう。無限の物語が生まれてくる。

 Enterキーを押し、ブログを更新する。そのとき、砂漠の風が吹き付け、隣にある白骨がからからと音を上げた。ふとパソコンのモニターから目を上げた私には、その音が無限の物語の、可能性の中に生きようと決めた私をあざ笑うもののように聞こえた。それは部下の発したメッセージのように感じられた。

 そうだった…。そういう選択肢もあったな。おまえを生まれ故郷に帰してやろう。私の命の恩人なのだ。この動くことをとうに放棄した体を引きづってでも、必ず連れ帰ろう、共に日本に。

 しかし、ハゲタカは今、信じられないほどの速度で私の頭部へ急降下してくるところであった。
 頭上で、脳漿がぶちまける音がした。





第八話 冬晴れ
2005/1/9
(発泡美人)


砂漠や探偵の夢を見ながらバスに揺られ、私はここ金沢の地を踏んでいた。
この冷気の漂う町では第一の洗礼を料亭明月にて食らわされ、そのショックを和らげようと、食休みにそのまますぐ隣の喫茶店にてベルギーワッフルココアを味わっていた。
チョコレートを中心に広がる広大な甘味の世界に浸りながら、料亭明月のことを苦い経験のひとつとして、胸ポケットから取り出した手帳に記していた。こうして書きとめておいたもので自分のホームページの日記欄で紹介するつもりだった。
平凡なサラリーマンとして平凡な生活を平凡な町で送っていた私は、あるとき自分には平凡な未来しか残されていないのではないかということに気づいたのだ。
そのことに気づいた私は、会社の机に座っていられなくなり、何か残すものがあるのじゃないかと不安を感じ、自分の周りを見渡してた。でもいくら見渡しても見つけることはできなかった。
そうしてあてがなくなった私は、今と同じように喫茶店で休んでいた。するとそこに大きなダンボール箱を片手に持った女の子が店に入ってきた。ファアが絡まった鎖のネックレスをした女の子だった。カウンターまで歩いた彼女は足元にその箱を置き、私と同じココアのワッフルを頼んだ。
彼女の持ってきたダンボール箱は大きさはサッカーボールが入るくらいなのに、形はケーキを入れる取っ手のついた箱の形をしていたのだ。その中身は何なのかと箱に張られた伝票をみるとペットショップ「すずき」と書かれ重量、色、年齢、種類が箇条書きにされていた。
店内はエアコンの風でダンボール箱の伝票が音を立てる中、彼女はワッフルを小さく刻んで、そして小さくなったワッフルを一つ一つ口に運んでいた。
私はそのとき、すかさず胸ポケットから手帳を取り出しそのことをメモをし出した。
それは高校生のころからはじめていた自分のホームページに書く日記のネタに使おうと思ったからだった。そこには自分の考えたことなどをただ書き記していた。
だがただ考えを書いていただけだったから、初めは面白がって読みにきていた友達たちも次第に少なくなり、今では連絡用にあるだけになっていた。しかし日記のネタを探す癖は知らず知らず体に染み付いていた。この今の気持ちを日記に書こう。そう思った。
店を出た私はパソコンに向かったときに飲む烏龍茶を駅前で買い、家へと向かう普通電車に乗った。
緑色のシートには多種類のしみが浮かんで、座る気になれず家までの1時間を入り口近くの手すりにもたれてすごした。そうするとこれまで見えてこなかったシートに座っている人たちが、喫茶店の彼女のように近いけれど理解できない、そんな距離に座っているように見えてきた。
私と同じ駅から乗った女子高生のグループは学校指定の黒のロングコートに身を包み、声を抑えて話している。そのコートは一瞬見ると古き時代の不良のように見え、包まれた彼女達の個性を見事に消して見せた。そうかと思うと個性のかけらもないような大き目のジーンズにユニクロのトレーナを着た二人の男は額に薄く汗をかき、パソコン雑誌を広げて大声で話している。そんな姿は典型的な個性を感じてしまいそうだった。私はそのどちらとも会話はできそうにないと思った。
ただメモ帳を開きメモをし続けた。
駅を降りスーパーで夕食のインスタントの麦ご飯とたこ塩辛とビールと和風ロールケーキを買った。
その中で自分で選んだものは和風ロールケーキだけであとは店員のお勧めとかかれた札がついていたりフェアでどこかの市場からやってきたおじさんに怒鳴られて買ったものだ。
買い物と知り合いを探すことに夢中の奥様方を右に左によけながら商店街を通ってこの日は帰った。
帰ると実家からダンボール箱か届いていて、実家で今年も取れたよという声が聞こえてきそうなみかんとほうじ茶が2本、あとはなぜか松前漬けが入っていた。その理由も聞かないかんと思って受話器を取った。受話器を方に挟んで昨日の残り物の白菜と豚肉の煮物ときゅうりの中華サラダを麦ご飯にかけて、たこ塩辛をつまみながら食べた。
久しぶりに聞く親の声は変わり無く、どこか喫茶店の彼女を思い出した。彼女の田舎はどこだろうか。実家からダンボール箱が届いたりするのだろうか。みかんが余ったら一番に届けたいなどと考えた。
松前漬けは私が電話をするきっかけになるかと思ってと、母は半分いたずらで入れたと言っていた。すこしうれしくなって深夜まで電話をしていたが、今日の日記を書かなければいけないと言い、最後に感謝を言って電話は終わった。冷蔵庫に残っていた城之崎ビールヴァイツェンを右手において、パソコンを立ち上げた。そしていつものようにメモを見ながら日記を書き出したのだが、はっきり言ってパソコンを一度立ち上げるとあまり動く気になれないのだが、ヴァイツェンの紅茶を飲んでいるようなあっさりした味にどうしても和風ロールケーキをいっしょに食べたくなり立ち上がった。
右手にビール、左手に和風ロールケーキ、正面にパソコンというスタイルは以外にも気持ちがよく、その日の日記の文面は穏やかなものになった。
 その時のロールケーキで自分は自分で思っているよりもケーキ類が好きだということがわかり、この旅にでるきっかけになった。
さて今日の日記は料亭名月のことを書こうとホテルのロビーに入ると玉子おじやの暖簾が数十本と異常な数で立てられていた。聞くとテレビのお笑いのロケがこのホテルであり、その番組のメインが玉子おじやというコンビだそうだ。平凡なサラリーマンだった私には聞いたことの無い名前だった。
だけどこれから平凡でなくなるのだから興味を持たなければいけない、とロケ現場を探しに暖簾の方へと向かった。

続く)


第七話 晴れと書くのにも飽きてきた
2004/12/15
(殿誠)


 いつから眠りが始まっていたのだろうか? としあきは窓ガラスに擦りつけた顔を元に
戻すと唇の端から垂れていた涎を拭った。揺れるバスの中、辺りを見回すが誰もとしあき
に視線を向けているものはいなかった。
 それにしても、おかしな夢を見たものだ、僕が砂漠に行ったり死んだりゴミ袋に突っ込
まれたり養子だったり浮気調査をしていたり、とそんなことあるはずもないのに。
 どうやら、バスの揺れというものはとしあきが思う以上に眠りへと誘う力が強いものら
しい。窓の外を見つめると、真っ赤な紅葉が燃えるように山を赤く染めている。金沢のひ
なびた景色に紅葉はやけに映えて見えた。
 としあきは東京の会社に勤める平凡なサラリーマンで、今は、連休を利用した一人旅の
真っ最中だった。旅行が好きで、休みを取るたびにこうして各地へと足を運んでいる。旅
はいいものだ。歴史ある町ならなおさらだろう。多くの人との出会いや名産品で作られる
美味い料理。土地土地によって違う料理はやはり、旅の醍醐味であると言える。
 バスから降り、としあきは大きく伸びをした。背骨がバキバキと小気味よい音を鳴らす。
深呼吸すると、澄んだ空気がやけに肺を刺激する。渡された荷物を受け取ってとしあきは
空を仰ぎ見た。何処までも続いていきそうな青空。この下の何処かに、まだ見ぬ料理が並
んでいるのだ、そう考えるだけで胸がドキドキし始めた。
 としあきは鞄からソーセージパン、男爵ポテトとアスパラピザ、ほうじ茶を取り出した。
空腹は味を惑わせるからだ。所謂、腹が減っていればなんでも美味い、という状況で店に
入ることは、店だけではなく料理に対しても冒涜だ、ととしあきは思っていた。停車場の
傍にあるベンチに腰掛けてソーセージパンを頬張る。ほうじ茶で唇を浸しながら男爵ポテ
トとアスパラピザを飲み込んだ。丁度いい、空腹具合になった。
知らない町を歩き始める。目ぼしい店を見つけたら入ろうと思っているのだが、中々い
い店が見つからない。としあきが求めているのはその地方の特色がよく出ている店だった。
だが、道の脇に並ぶ店々は何処かで見たようなチェーン店ばかりだった。がっかりとはし
なかった。持ち前のポジティブさでとしあきはまた空き始めた腹をデニッシュドーナツと
ほうじ茶で慰めながら歩き続ける。
 料亭明月。此処だ、ととしあきは勢いよく暖簾をくぐった。しなびた、今にも潰れそう
な店の中は、やはりというべきか閑散としていた。
「誰も先客はいないのか、残念!」
 客と味について語り合いたかったが、そうも行かないようだ。調理場から顔を出した女
将がとしあきを見てハッとするような笑みを浮かべた。年の頃は三十代だろうか? もっ
と行っているかもしれない、ととしあきはカウンターに腰掛けながら考えた。
「いらっしゃいませ、注文はお決まりでしょうか?」
「そうだなぁ、この店のおすすめ、なんてものはありますか?」
「おすすめ、ですか? そうですねぇ、おまかせ、というものはありますが」
「それじゃあ、それでお願いします」
 かしこまりました、と女将が下がっていく。下げた頭の向こう側に微かに見えたうなじ
がとしあきの網膜に刻み込まれた。待つこと十分。女将が戻ってきた。
 さて、どんな料理が登場しますか。
 差し出されたのはとしあきの喉を通り過ぎていった少なからぬ料理など足元にも及ばぬ
ような魅力的な料理だった。ヒャー、いい匂いのする僕好みの美味しそうな料理、飾りつ
けも決まっちゃって。
 高野豆腐の炊いたのや水菜煮びたしや十穀米入り大根菜飯が次々とカウンターに並べら
れていく。いつもは冷静なとしあきも魅力的な料理にはからずも舞い上がっていた。最後
に女将が豆乳と牛乳を並べて料理は終わった。こうした料理と豆乳や牛乳が合うのかよく
わからなかったが、としあきは並べられた箸を割った。高野豆腐を裂き、口に運ぶ。水菜
を頬張り、大根菜飯で喉の奥へと流し込んだ。舌の上を料理が通過するたびにとしあきは
顔中に溢れんばかりの微笑を浮かべた。やけに美味かった。
 豆乳と牛乳を交互に飲みながらあっという間に平らげていく。冷たさと熱さが心地良い
刺激となってとしあきの口内を揺さぶり続けていた。僕はなんて幸せ者なんだ、と夢見心
地のままに思った。
 だが、料理は終わったわけではなかったらしい。としあきの目の前に、今度は大きなお
でんの鍋が置かれた。運んできたのは女将ではなく、深い皺の刻まれた老人だった。唇を
縦に裂く傷が少しだけとしあきを怖がらせた。
 蓋が開けられる。モワァと濃い湯気が立った。老人が箸を走らせる。大根を一つ、つま
みあげた。
「思ったとおりだな、綺麗なピンク色をしてうだってる」
 としあきの皿に大根と厚揚げが並べられた。やけに大きなその二つを頬張ると流石のと
しあきも満腹感で一杯だった。ポケットから財布を取り出して料金を払おうとした瞬間、
老人の太い腕がとしあきの手を制止させた。
「フフン、まだ料理が終わったとは言ってねえぜ」
 皿の上に春菊ともちが置かれた。もちは兎も角、春菊の大きさが洒落にならない。皿か
らはみ出すほどに長く大きな春菊を見たのは初めてだった。としあきは驚き、おいた箸を
取り上げることも出来ない。
「どうしたい」
「あんまり大きくて……、こんな春菊を見たの初めてだから……」
 としあきは乱暴に春菊ともちを口の中に突っ込んだ。大食いだと思っていたが、流石に
もう味がわからないほどに満腹になっている。としあきはヒィヒィ言いながら全てを食べ
終えた。食べるのに必死で、老人がいなくなっていることにすら気づいていなかった。
 顔を上げると、先ほどの女将がド派手なドレスに身を包んでとしあきの隣に坐っている
のがわかった。右手に赤ワイン。三十代かと思っていたが、どうやらもっと若いようだぞ、
ととしあきは思った。覗く鎖骨がやけに艶かしく見えた。カウンターにはスモークチーズ
とメルバトーストセサミが用意されている。食べて、と女将は言った。覗き込むような、
誘い込むような視線だった。
 としあきは誘われるように貪った。もう味などわかりはしなかった。ただ、どんどんと
喉に流し込まれていくのがわかった。腹の中がパンパンだった。立ち上がることすら出来
なかった。満腹感以上の満腹感が全身を鉛のように満たしていた。
 どうやって会計を済ませたのかも覚えていない。としあきはただ立ち尽くしていた。店
のドアは乱暴に閉じられ、準備中の札がかけられている。だが、としあきは振り返らなか
った。としあきの胃は既に先ほどの食事を全て消化し、次なる食事を求めていた。喉の奥
が囁き始める。口の中に唾液が溢れ始める。そうなるともう駄目だ。
 としあきは確かな一歩を踏み出した。


第六話 晴れさすがに冷えてきた
2004/12/08
(浅岡)


 
 ある中年女性に頼まれた夫の浮気調査を終えた翌朝、北海道へ旅行に行った友人から宅配便で荷物が届いた。としあきははんこを押して荷物を受け取った。
「気をつけてくださいね、生ものですから」
 配達人は念のためといった様子でそう告げてから、走ってトラックへと戻っていった。朝食をとる暇もなかったのか、ハンドルを握りながら食事をしている。レーズンスティックを丸ごと口に放り込んで、牛乳で無理矢理咽の奥へ流し込んでいる。配達人の顔が風船のように膨らんだ。そういえばまだ朝食を食べていなかったな。としあきは部屋の中に戻った。
 生ものと言われたので、としあきは箱ごと荷物を冷蔵庫に入れた。数日家を空けていたこともあって冷蔵庫の中は空に近く、荷物は悠々と収まった。昨晩帰りがけに買っておいたコーヒー牛乳とメロンパン風菓子パンを冷蔵庫から取り出すと、テーブルに運んで朝食をとった。テレビをつけてみれば、ちょうど天気予報が流れていて、「本日も晴れるでしょう」と天気予報士が笑顔で言っている。としあきは天気予報を信じていないので胡散臭げにテレビの画面を見ていた。
 朝食を終えるともう一眠りしたくなった。昨晩は徹夜だったのだから無理もないかと、としあきはベッドに潜り込んだ。

 浮気調査をしていると、たまに調べている当の本人に気がつかれてしまうことがある。そういう場合、多くは依頼人に報告をする前に話し合いの場が持たれる。今回の依頼もその仮定に当てはまり、としあきは調査対象と一緒に食事をすることになった。
 ファミレスに入ってすでに三十分近くが経っていた。としあきはチキンカレーと添え物のザワークラウトを、相手の男は麦茶と天むすをとうに食べ終わっており、二人の箸は止まっていた。二人の口もまた止まっていた。
 男は中年の小太りであり、忙しなく目を動かしている。何か説得の言葉を口にしようと唇をもごもごと動かしているが、一向に言葉にならない。としあきは痺れを切らした。
「言っておきますけど、依頼人には調査報告はきっちりとしますよ。それがこの仕事のルールですから。知ってますよね?」
「ああ、知ってるよ、うん、知ってる」男は必要以上に頷いてみせた。「でも、ほら、ドラマとかだとよく探偵が依頼人を裏切るじゃないか。ね、あんな感じでどうかな?」
 どうかな、と言われてもな。としあきはため息をついた。すると男は何を勘違いしたのか、としあきにカフェオレを、自分はグレープフルーツジュースを注文した。男は愛想笑いを浮かべてにこにこしている。
「もうすぐ飲み物がくるから、もう少し話し合おうよ。ね? 何ならこの後飲みにでも行こうか? いい店知ってるんだよ。きれいな娘がいっぱいいるよ。だから、ね、そうしようじゃないか?」
 としあきは立ち上がった。何だか、無性に自分のやっていることが馬鹿らしくなってきた。調査結果の入っている脳みそを千切りとって投げつけてやりたいような気持ちだ。そうすれば、この男は喜んでそれを食べてしまうだろう。としあきは男の顔を見つめた。男は期待のこもった目でこちらを見ている。
「申し訳ありませんが」
 一言だけ残してとしあきはテーブルから離れていった。慌てて付いて行こうとした男が派手に転ぶ音が背後から聞こえた。何事かと、隣の席でリングドーナツを頬張っている女子高生が好奇の視線を向けているのが見えた。男は引っくり返ったまま、床の上で呻いている。としあきはレジに行って、代金はあの人が払うから、と男を指さしてみせた。店員は戸惑っているようであったが、放っておいて店を出た。
 外の空気は冷たく、コートを着ていても震えてしまいそうなくらい寒い。しかし、その寒さが妙に気持ちよく感じられた。明日の午前中には調査結果を依頼人に渡そうと決めると、としあきは夜の街へと足を進めていった。

 目が覚めてベッドから抜け出ると、すでに夕方近くになっていた。嫌な夢を見たことと寝すぎたことが重なって少し気持ち悪かった。としあきはうがいをして顔を洗った。少しは気分がすっきりとした。
 と、腹が鳴った。朝食はちんけなパンが一つ、夕方ともなれば当然腹が減る。そこで今朝届いた宅配便のことを思い出した。冷蔵庫を開けて、荷物を取り出す。
 としあきの友人は旅行が好きで、年中どこかをほっつき歩いている。一ヶ月ほど前には、台湾から凍頂烏龍茶を送ってきたことがあった。香りの良い銘茶であると手紙には書いてあったが、結局は送ってきた当の本人がとしあきの部屋に泊まっている間に全て飲んでしまった。当然のようにとしあきは愚痴を口にしたが、あっさりとかわされた。
 そんな経緯もあったので、としあきは眼前の荷物にあまり期待をしていなかった。軽い気持ちで箱を開けてみる。北海道土産ということであろうか、近所のコンビにでも買えそうな北海道野菜のカレードーナツなるものが大量に詰め込まれている。やはり嫌がらせか、と確信を抱きながらカレードーナツの束をつかんだ。すると、カレードーナツの向こうに細長い箱が見えた。としあきは両手を伸ばし、細長い箱を取り出した。
 きれいな包装がしてあり、三方六と書いてある。三方六といえば、北海道銘菓の一つではないか。としあきは感動を覚えた。包装に手を伸ばし、丁寧に解いていく。
花がつぼみを開くように包装が広がり、箱の本体が現れた。としあきは喜び勇んで箱を開けた。
 箱の中身は空であり、底にボールペンで一文が記されていた。
「カレードーナツを存分に味わってくれ」


続く


第五話 雨のち晴れポカポカ二十度越え
2004/12/05
(志方)

 

彼は砂漠に朽ち果てハゲタカの餌となった。

そもそも彼は何故このような砂漠へ来なくてはならなかったのか。

時は四十年ほど前に遡る。

 

新宿駅構内の不潔なトイレで女は赤ん坊の下腹部を押さえその突起を口に含んだ。それは今朝食べたバターぬりベイクドポテトの味がした。憂鬱な顔で懐から今はもう使われなくなった黒いゴミ袋を取り出し赤ん坊を中に入れ、そのままガムテープで巻き上げた。しかし息が出来るように顔だけは巻かないでおいた。

女はそれからどうすればいいのか分らなくなり、薄汚れた和式便器の中へその黒い塊を置いて足早に立ち去った。薄く水が溜まった便器の泉で、さながら蓮の葉に乗って流れてきた蛭子のように赤ん坊は鎮座した。ノブを回して水を流せばまたどこか違うところへ流れていってしまうのではないかと、捨てられた約三十秒後にその個室へ立ち寄ってしまったサクヤは思った。何故か、袋の中に赤ん坊が入っているのだろうと直感で感じていた。そしてなにやらありがたいもののように見えた。そのころ、ようやく眠りから覚め暗い世界にいることに気付いた赤ん坊は、体を包むような水の感触と真っ暗で静かな世界に満足したのかまたそのまま眠りについてしまった。サクヤに呼ばれ、駆けつけた駅員がビニールの世界から赤ん坊を救出し、何故気持ちよく眠っていたのに余計なことをするのかと憤慨する赤ん坊を抱いてトイレから出てくるところを生みの親は遠くから力無いまなざしで眺めていた。その口はひたすら「ごめんなさいごめんなさい」と形作られていたが誰にも聞こえなかった。

 

その赤ん坊は誰に引き取られることもなく、孤児院に入れられることになりそうだったので、サクヤがその身柄を引き取った。サクヤはこの頃まだ26歳の独身会社員だった。彼氏もいなかった。子供を引き取って間もなく退社し、それまでに貯めたかすかな貯金と親の仕送りで赤ん坊を育てた。サクヤ自身何故その時里親になろうと決心したのかは分らなかった。一人きり情熱を振り回したバッティングセンターにその赤ん坊といつか一緒に行きたいと思ったのかも知れない。サクヤは田舎から出てきた都会で一人、孤独だった。学生時代に青春をかけたソフトボールも社会に出てからは何の意味もなかった。バットを事務用ボールペンに持ち替えたが、サクヤを満たすような人生は訪れなかった。

 

赤ん坊は「としあき」と名付けられ順調に育った。六歳になった冬、誕生日のお祝いに母親から何を食べたいかと問われたとしあきは、「なにか酸っぱいものが食べたい」と妊婦のようなことを言いだしたので、子供のくせに金がかかるものをと思いつつも仕方がない、サクヤは回らない寿司屋へと連れて行くことにした。

冬のほんのりと暖かな陽気の中、二人は寿司屋へたどり着く。それまで大した贅沢をしようとも思わないで生きてきたサクヤととしあきは、回らない寿司屋など来たこともなかった。戸を開けた途端「へい、らっしゃい」などと威勢のよい声をかけられたら、なんて返事をしたらいいのかととしあきは子供心に不安に思った。そんなナイーブで傷つきやすい子供心も知らず、サクヤは遠慮がちに扉を開け、としあきの手を引き中へと入ってしまった。

しかし不安は的中せず、店の店主は入ってきたこちらに何の関心も示さず何かを握っている。他にも数組の客がいたが店内はいたって静かで落ち着いた雰囲気だった。席に着いた頃合いを見計らってカウンター越しに店主らしき初老の人物が、お手ふきを持ってくる。「さて、何握りやショ」などと江戸っ子風に聞いて来るであろうとサクヤもとしあきも秘かに期待していたが「ご注文はお決まりですか」と、ファミレスチェーン店風な無個性な問いかけに思わず椅子からとしあきはずり落ちた。

しかしそんな店に来たのは初めてのとしあき。メニューを見ても何から食べればいいのかとっさに思いつかない。いつもは流れてきた寿司を勝手にとって食べているだけだった。思わずメニューを前に固まってしまう。

 

「はい、時間切れー」

 

と店主は言ってメニューを取り上げ代わりにとしあきの前に笹の葉寿司(サーモン)を置いた。そして次はサクヤに向かって「ご注文はお決まりですか」と問いかけた。サクヤはまさか笹の葉寿司が出てくるとは思っていなかったので「え、え」としか発言できなかった。

 

「はい、時間切れー」

 

と言って差し出されたのは笹の葉寿司(さば)だった。とりあえず、サクヤはほうじ茶を飲んで心を落ち着けた。としあきはよくは分らないが、サーモンは好きだったのですぐに食べきってしまった。

 

「奥さん、じつはうちは今でこそ寿司屋などやっていますが、私は実はビール職人になりたかったのです。ぜひ一度、私の造ったビールを飲んで貰えないでしょうか」

 

なんでいきなり話しかけてくるの? とサクヤはもう帰りたい気持ちになってきていたが、元来押されると弱いタイプなのでビールを頼んだ。「これはもともと修道士さんが作っていたビールでシメイビールっていうんです。坊やはこっちな」とそれぞれシメイビールと、麦は麦だが麦茶が出てきた。「で、お茶繋がりで……」とついでに凍頂烏龍茶も出される。としあきはお茶は嫌いで牛乳が飲みたかったが、母譲りの押しの弱さで我慢してお茶を飲んだ。

サクヤは酒に弱く、グラス一杯でもうへべれけとなっていた。しかし、さきほどからちらちらと見てくる店主の視線に絶えきれず、お代わりまで頼み律儀に最後まで飲んだ。そんな母親を見て、何だか分らないが、ここは変な場所なのではないかと子供心に感じ取ったとしあきは、入って10分にして、「そろそろ帰ろうようぅ」と母親に懇願した。

 

「おや、もうお帰りかい。じゃあ、こいつはデザートのサービスだ」

 

と、としあきの前にドーナツ(エンゼルフレンチ・カスタードショコラ)と新発売冬季限定のダース・ジャンドゥーヤブランが、サクヤの前に鶏玉子おじやが出された。腹はすでに水で膨れており何も食べる気が起こらなかったが、ダースの冬期限定版だけは食べておこうととしあきは手を伸ばす。

隣に座った人がベイクドオニオンを注文した。

必死でチョコを食べ終え、母をせかせてお勘定をすませ、ふらふらになったサクヤの手を引いて店を出ようとしたとき、塩焼きそば(インスタント!)をカウンターから出されて食べている客が目に入った。

外に出て、としあきは看板を見上げた。「港から直送。新鮮! 寿司の大江戸」確かに寿司屋の様だ。

 

                                                                                                                           

それから月日が立ち、としあきは様々な世の中の謎を探りたいと思い探偵になったが、それだけでは食っていけないようなので大学教授を兼任しながら生きていた。

続く

 


第四話 すっかり秋晴れ19度
2004/11/20
(草野宗八)

ハゲタカの嘴は私の目の前に迫っている。

 

「リバーサイドには川がない。一九一一年以来、リバーサイドの川は乾きっぱなしだ。一九八〇年夏、わたしは始めてリバーサイドに現れる。川が乾いて六九年目である。」

 

 ハゲタカの嘴は黒い。その姿からWhite-backed Vultureと思われる。この種は我々一般が想起するハゲタカのイメージに近い。そう、ハリウッド映画などで登場する無口なヒール。茶色の羽毛には黒いまだら模様がほどこされている、あれだ。そして、嘴は黒い。

 この炎天下のせいだろうか、その嘴の黒さは充分に熱せられた鉄板を私に想起させた。

 あの上で卵を焼いたらさぞかしうまいに違いない! この場合、当然卵は半熟でなければならない。しかし、それだけ食べるのでは腹は満足しないし、第一、意匠が欠ける。ここは確実に半熟ピラフカレーにしよう。この猛暑の中、辛い半熟ピラフカレーをはふはふと口にするのはこのうえなくうまいはずだ。さらにその半熟がハゲタカの嘴の上で焼いたものだからなおさらだ。このような珍味はなかなかありつけるものではない。そうだ、私がまだ豊かな都市にいたころもハゲタカの嘴で焼いた半熟ピラフカレーを食わす店はなかった。

 

「どこにいてもわたしの思考は沙漠、砂のある方へむかう。乾いた土地、乾いた熱い空気、太陽さえ、カラカラにノドをやかれてしまう土地にむかい、わたしの内なる砂族たちは急速に活気づき、リバーサイドに一滴も水がない事を発見するやいなや、快活に、口笛など吹き、踊りだし、裸足で沙漠にむかい、駆け出していくのだ。」

 

 物資が豊かなある都市に私がまだいたころ、私は贅沢三昧とまでは言えないが、飢える事なしに生活を送っていた。そのころ、私は吉田健一の口腹記を常に携帯していた。それは当時の私にとってのバイブルだった。吉田氏の食べ物にまつわる文章は食欲を大いに煽ってくれた。そのためであろうか、周囲の友人は皆、朝飯など取らないという事を一種のアウトロー的ステータスに換言して自慢気味に話していたが、私は毎日しっかりと朝食を取っていた。牛乳にマーガリンぬりコーンブレッド、こんな朝食を取っていた。朝、起きて空腹を覚え、朝飯を食べるのは実に幸福な時間である。私は三食の中で朝飯が一番好きだった。朝飯を抜いている人間はなんて不幸なのだろうと思ったが、どうやら好きでやっているらしいので同情する気もない。

 このように私は朝飯が好きだった。そんな私が牛乳とマーガリンぬりコーンブレッドだけで満足する筈がない。牛乳とマーガリンぬりコーンブレッドを軽く平らげたあと、エトランゼリーフを朝食用の皿にそっと置き、ミルクティーをいれ、いわゆる「お茶」を楽しむ。その後にデザートのカスタードプティングを食べれば歓喜と至福が一度に訪れるだろう。

「わたしの砂族なるスピリットは果敢である。果敢な戦士であるからして、沙漠にむかい、一旦砂かぎつけるとそれにむかって疾走するが、それがなぜであるかなどわかるものか、それは狂気でも覚悟というものでもなく、本能なのである 戻っていくのである。」

 

 吉田健一の口腹記で忘れられないものはアルコールである。氏の口腹記の半分はこの話題に関連付けられて語られる。だが、アルコールについて私はよい思い出がない。私は夜自宅で独り、アルコールを飲むことが多かった。例えば豚バラ肉と大根とコンニャクとゆで卵の煮物で発泡酒を飲んだりした。発泡酒というのはどの銘柄も味が変わる気がしなく、値段が安いものを飲んでいた記憶がある。今から考えれば吉田氏の読者としてあまり正しくない気がするが、まあ、よかろう。兎に角、私はいつも独りで飲んでいた。ようするに飲みに誘える友人がいなかったわけだ。

独りで飲んでいた私は発泡酒一杯では飲み足りなく、赤ワインを持ってきてまた、飲み始め、あてがなくなったのでカマンベールチーズを用意した。

独りで飲んでいても酔いは廻る。そして、酔った後には屋台の醤油ラーメンを食う、当時、それが美学だと私は認識していた。しかし、自宅から出て独りで屋台のラーメン屋に行くのは億劫だった。空になった赤ワインの瓶や、握りつぶした発泡酒の空き缶、それにインスタントコーヒーの袋、半分ぐらいまで飲んで放っておいたC1000レモンウォーターのペットボトルを目の前にして座禅を組んで考えた。

 

「わたしの内側で彼らが何をたくらみ 次には どこへ仕掛けにいくのか知らないが ああ リバーサイドで わたしは彼らの 実に美しい奇襲をみた 次々とわたしの内側より活気を帯び 外へと飛び出て 古代アステカまで走っていくかと思うほど彼らは 希望にみちているのだ 全く奇なる柔らかく暖かく熱くゾッとする音楽のような 生理的快感をくすぐるような 神聖且つ猥雑な願望を抱き 何者かへと 向かっているのだ 」

 

 結局、私は醤油ラーメンを食べにいかなかっただろう。おそらく、自宅でむなしくわらびもちをほおばりながら、麦茶を流し込んでいたのだろう。

 昔、「東京砂漠」という東京という都市をたとえた比喩があった。この陳腐な比喩にあえてのっとれば、私はこの砂漠では生きていけないのかもしれない。どうやら私は沙漠に順応できそうもない。

 

 半裸の少女は発音や音節が正確なのか不正確なのか判然としない声(それは機械の声に似ている)で、詩を吟じている。沙漠の詩を。

 

 頭上で、脳漿がぶちまける音がした。

 

 少女は吟じた。「ポエジーをにぎり殺すのだ」


「」内 白石かずこ「沙族」から引用

続く

 


第三話 数日ぶりに晴れ
2004/11/16
(廣海)

 身体が乾いていく。人が何も食べないと死んでしまうことは知っていた。けれど、そうしたことを骨身に染みて思い知らされたのはこれが初めてだ。以前、何も固形物を口に入れず、ビールだけで2週間ほど過ごしたことがあったが、その時でさえ小人が枕元を走り抜けるくらいのことで死ぬとは思わなかった。銃弾が幾つもどこからか飛んでくるが、そんなことはどうでもよくなった。身体が流動する砂に沈んでゆく。部下もどこかに行ってしまった。それはまあいい。ときどき砂丘が崩れて砂の流れる音が聞こえる。顔の上には砂が小波のように流れてきて、見える空は狭い。空を飛ぶのはハゲワシ……ハゲタカ? 銃弾が止むのが先か、私が砂に埋め尽されるのが先か。砂にまみれた私の眼球は日差しにむき出しのまま干からびていく。ハゲタカは私の枕元に停まろうともしない。

 ハゲタカは、南南西を指して真っ直ぐに飛ぶ。矢のような日光を抜け、砂粒まじりの烈風を越え、流動する砂丘の影を確かめながら。眼下の白光する砂の面にはくっきりと十字架に似た猛禽の影が滑っている。そして吹きすさぶ風に、あまりマーガリンぬりトーストの香りが感じられなくなったころ、ハゲタカの眼に埃っぽい集落が映った。不釣合いなほど大きい尖塔をもつ半ば風化した建物の屋根に降り立ち、首を傾げて彼方を見やった後、すでに馴染みの侵入路にむけて真鍮めいた光沢の翼を持ち上げた。ハゲタカが停まった建物のほかにも幾つか背の低い民家らしきものが並んでいるが、それらはいっそう風化が激しく、人の住んでいるようには思われなかった。しかし、集落の入り口には番兵がわりの、一様に表情の作り方を忘れてしまったような少年が2人立っていて、他所から来たらしい、ぼろぼろのいでたちのおどおどした男と小勢りあっている。少年たちは単なる番兵というにはあまりにも身体が強張っていて、剥き出しで手にしたライフルを撃ったとて1歩先の的にさえ到底命中しそうにないのだが、身振り手振りで何かを訴えようと、ほとんど踊りくるっている男を鼻白ませるには充分な効果があった。狙いをつけられて男は両手を斜めに持ち上げながら数歩後退する。やや傾いた太陽の日差しが頬のくぼみに影をつくり、少年たちと同様に男をも無表情に見せていた。ふいに男は焼けた砂に膝を落として、腰を激しく上下に振りながら、腿を何度も叩いた。濃密な日光と舞い上がる砂塵の影の下でその様は醜悪な人間のパロディにも見えた。男の様子に少年たちは無表情な顔を見合わせる。少年たちがたじろいだと見て、男はふいに人の形を取り戻した。自分の背丈の半分くらいしかない2人の少年にすがりつくような動作を見せながら、背負っていた大きな荷物から熱で半ば変形したプラスティックの水筒を取り出し、逆さに振った。少年たちは水筒にライフルをむけた。水筒の底は乾いていた。男は引きつった笑いを浮かべ、少年たちにも伝染した。ややあって、少年のうちの一人が自分の水筒のふたを取って地面にむけた。そこからも水は一滴も落ちなかった。3人は大声をあげて笑いこけた。ひとしきり笑い、つむじ風が砂を持ち上げる音が辺りを再び支配しようとした時、もう一人の少年が自分の水筒を踏み固められた砂道に叩き落とした。中から冷たい牛乳があふれ出た。少年たちは腹を抱えて笑い、男は青ざめた。あたかも今しがた冷蔵庫から取り出されたように冷えた牛乳は見る見るうちに砂に吸いこまれていった。

 尖塔の細長い小窓の手前でハゲタカは立ち止まった。そして重々しく空羽ばたきをした。風切羽根が1枚、螺旋を描いて落ちる。先ほど入り口で騒動を起こしていた人物とそっくりのいでたちをした男が、真剣この上ない表情で姿勢を低くたもち、身体を奇妙にくねらせながら、無人の集落の中を忍び寄ってきた。背中の空になった荷物が男にかぶさっている。狭い影に頭部をねじ込むようにして風化した土壁に、ほとんどぶつかりながらぴったりと身体をつけ、荒く息継ぎをした。崩れた土塊が男の肩や荷物に積もる。男は身を隠すことも忘れたかのように砂塵まじりの空気を荒々しく吸い込み、天を仰ぎ、しばらく動かなかった。ハゲタカと目があうと、とっさに壁から身を離した。影を出た男の頬からは砂埃が舞い落ち、乾燥した唇は一瞬にしていっそう干上がった。伸び放しの髪は肩や背荷物にかかり、顔面は日光を真っ白に反射させたが、目は落ち窪んで影が溜まっていた。咽喉は分泌されない唾液を飲んだ。

 私は何をしているのか。壁の上でハゲタカがゆっくりと瞬きをした。私は、私がハゲタカに見つめられ、自分の眼が茫然と見開かれたままであるのを知っていた。そしてそのまま何食わぬ顔つきで崩れかかった土壁を迂回しようとした。ハゲタカは翼を広げ、大きく空を打った。気流がもうもうと立ち上る砂埃を吹き飛ばした。ただでさえあやしい足取りの私は不覚にも腰を抜かした。踏み固められた砂に座り込んだ私の上に、天を覆わんとする両の翼を熱風になびかせ、筋張った長い首を震える羽毛の中からもたげるハゲタカの投げかける影が落ちた。

 私は思わず顔を覆った。そして戦慄とともに腰にあたる硬い感触に気づいた。冷たい水の入ったスチール缶、このようなものはとうの昔に飲みきってしまったのではなかったか。私はハゲタカの凝視に許されるのを祈りながら、できるだけゆっくりと、カルピスウォーターに口をつけた。体温が高まっているせいか、それは奇妙に冷たかった。咳き込みながら缶の中味を干した。咽喉は乾いているのに、何度にもわけて胃の腑に流し込まなければならなかった。何度も唇からこぼれたが、滴る間もなく乾いてしまって、あごの辺りがべたべたした。天をむいていたあごを下ろした時、ハゲタカを恐ろしいと思う気持ちは少し和らいでいた。というのも、私が全く汗をかかなかったからだ。冷えた胃の輪郭を私は感覚でなぞることができた。しかしそれでも私は首をゆっくりとめぐらし壁の上を見上げながら卑屈な気分で媚びるように笑わざるをえなかった。

 ハゲタカが尖塔の小窓から熱気とともに滑りこんだ時、広間の上座には、ぼろぼろになった外出用の服を着こんだ男が半ば崩れるような姿勢で座っていた。骨格が大きすぎるのか、椅子が小さすぎるのか、窮屈きわまる肘掛の間にねじ込んだ腰から上を左に傾げ、そちら側の脇に背もたれを挟んでしだれかかっているため、肩と胴とが今にも外れそうになっている。その両側には全身まっ白い肌の、年端も行かぬ少女が2人、薄絹を肩にかけたばかりの格好で、いともかいがいしく男の世話をやいている。1人は小さな手で骨ばった手をさすりながら生ビールを注ぎ、生牡蠣をつまんで男に差し出し、もう1人は焼き椎茸を頬張って整った顔をしかめ、あわててふんわりモンブランを紅茶と一緒に流しこんでは、流し目で男にほほ笑みかける。長いテーブルの上には肉や魚がところ狭しと並んでいて、男はそれを無関心気に眺めているこうした食べ物を私はどうしたのだろう。広間全体を覆う天蓋は薄汚れていて、華奢な細工の石膏は灰色にくすみ、切子ガラスはほとんど光を遮っている。少女のうちの1人が小さく声をかけた。

 この2人の少女はよく見ると誰かに似ている、ふとそう思うと動悸が激しくなった。干からびた唇が何かつぶやく。それは高鳴る鼓動で聞き取れなかったが、手を握っていた少女は心得顔にうなずき、もう1人の半裸の少女が杯に唇をつけて酒を口腔いっぱいに含み、顔を近づける。もう一度テーブルの上を眺めやり、眼を閉じて少女の唇を吸う。唾液混じりの日本酒が流れ込んでくる。咽喉がうまく働かず、胸の熱さに私はむせ返った。まっ白な少女たちは当惑顔に私を見た。

 ハゲタカがかぼちゃの鹿子揚げから剥がれ落ちたクルトンをついばんだ。咳き込みながら、ハゲタカがずっとこちらを見ていたことを知った。

「そろそろいらっしゃるころだと思ってました」部下が、テーブルの向う側からやってくる。素っ頓狂な声が響いた。私は驚いてとっさに身を乗り出したのだが、彼はこちらにくるのに、ずいぶんと長い時間をかけた。テーブルの上からかすめとったらしいトマトに歯を立てる。何をしているのか尋ねようとして、私は咽喉を何とか動かそうと試みた。

「いや、忠告と援助を申し出ようとしたんですが、その必要は無いようですね」ぶりカマ焼きの身をほぐし、両手で交互に口に運びながら、部下はテーブルの上に腰掛けた。「誰もいない、食い物がない、どこにもない、無為の悲惨、何の役に立つってんだ」

「何の話をしているんだい?」ひとかたまりになって椅子の影に隠れている2人の少女をかばうように私は言った。部下が首を伸ばして2人のおびえた様子をあまり無遠慮にみるので、腹が立ってきた。「行儀が悪いな、ぼろぼろこぼれているよ、ぶりが」

「白子ポン酢がね、からだにいいっていうのですよ、祖母が、そればっかり」部下はホタルイカ沖漬の水あめのようなたれを指で集めてすすりこみながら話す。

「食べるわけかい?」

「でしょ? 秋鮭タタキいくら丼も一種の親子丼ですからね、残酷ですよ」

「なるほど、筋は通っている。それにしても食べ物の話ばっかりだね」

 部下は松茸土瓶蒸しの中に関さば棒寿司を丸ごと押しこんでかき混ぜながら、衣服についた砂を払っている。

「そんなことして美味しいの?」

「雌豚め! 汝の死は……ってわけなんでしょうね」

「お祖母さんの話かい?」

「ずいぶんと遅くなっちゃいましたからね、あなたがいけないのですよ」

「先に手を出したのは君だろう」

「ま、その話はやめましょうや」

 部下は肩をすくめ、テーブルにこぼれたぶりのほぐし身を口に運び続けていて、もはやまともに返事するつもりはないようだ。ふと気づけば、広間にいるのは私と部下だけになっていた。私は釈然としない気持ちのまま建物を出た。肘掛から身体が抜けなかったので椅子をくっつけたままだった。腰骨が猛烈に痛かったが、どうにでもなれという気分のほうが強かった。扉を開けた途端に砂まじりの熱風にぶつかった。振り向いて見れば部下は背を丸めたままテーブルに腰掛けて残りの食べ物を片付けているようだ。勝手にしろ、と私は砂漠に足を踏み出した。バックパックから垂れ下がっているコンパスの針はぐるぐると回っている。砂塵に覆われた砂漠の風景は思いのほか暗い。コンパスを握りしめて進路を北にとった。

 しかし、ハゲタカは今、信じられないほどの速度で私の頭部へ急降下してくるところであった。


続く

 


第二話 明日で打ち止めの晴れのち曇り
2004/11/10
(発泡美人)

 ことの始まりは突然に、今思えばこの高く昇った太陽の日差しの中、カフェマロンミストが光ったのかも知れない。いやその前のほうじ茶かもしれないな。

部下は広いどこまでも続くかと思われるほどの砂漠のなかに、置き忘れられたトラックの荷台が頭を出しているところに、体を縮こまらせている。

私も自分のバックパックを盾に様子を伺うことしかできない。

「なぜ、僕らが銃で襲われるんですか。僕らの町はそんな町じゃなかったのに。」

部下は鼻声で私に助けを求めた。だが私にだってわけが分からないし、どうしようもない。

私たちはさっきからずっと、町の方角から止むことない銃撃に襲われている。

銃弾がバックパックにぶら下がった鍋にあたり、音が周囲に高く広がっている。

「少し収まるまで待ってみよう。多分誤解だろうから、少し耐えればなんとかなるよ。」

私はそう言ってから、体力を残しておかなければ耐えることもできなくなると、体を丸め息を落ちつけ、カフェマロンミストかほうじ茶かを考えた。

 

私と部下はバックパックいっぱいに食料を積めて、町に帰る途中だった。

町では私たちの食料を待っている人々がたくさんいたし、私たちが持って帰らなければその人たちが死ぬかもしれないという状況なのは分かっていた。分かっていたつもりだった。

だがこの町へと続く砂漠の広さと、体中から水分を容赦なく奪い取る気温に、私たちは誘惑され全ての食料を食べつくしてしまったのだ。

油揚げと水菜の玉子とじ・鶏唐揚げ・麦ごはん・メロンパン・牛乳

あぁ、一度腹に物が入ると、ますます腹が減ってきた。おいしかったなぁ、あの温かい玉子とじが麦ごはんにマッチして胃袋の渇きを十分満たし、歯を立てるたびに肉汁が滴り落ちる鶏唐揚げ。

甘いメロンパンは焼きたての香ばしさが残っていたし、牛乳は体中を冷やしてくれた。

あれ、ちょっとちがったかな。まぁいいや。そのときの何かが何かに反応して、突然雨あられの銃撃に襲われたのだ。

間断なく襲いくる様子は機械的で、息継ぎの間さえ感じられない。敵がもし呼吸をするものであったのなら、この太陽の下、麦茶くらい飲みたくなるだろうと予想して、反撃、いや我々には武器がないから

麦茶を飲んでいる間に行うならば結局、逃げるか耐えるかのどちらかだ。しかし現在の機械的な様子からでは、麦茶さえ飲まない襲撃者のようだ。

その背後に何者かがいるとしたら、そいつはグレープフルーツジュースわり赤ワインを手のひらで転がしてほくそえんでいるに違いない。

おいしそうだなぁグレープフルーツジュースわり赤ワイン。私ならつまみは新潟コシヒカリおにぎり(トンカツ・生たらこ)にするね。

ブリーチーズと一緒に酒を飲む人もいるが、もちろん論外だ。ワインにはごはんだ。絶対ご飯。ご飯。ご飯。

 

陶酔気味の私に、部下は大声を上げて

「腹、減りませんか。ご飯。食いたいですよね。」

部下はそう言うと、体を揺らし始めた。

自分で言った“ご飯”という言葉に陶酔させられてしまったようだ。

弾丸が、彼の背、太ももをかすり、周りの砂を、飛び跳ね、めくりあげる。

ほおって置くとあの揺れ動く頭を、弾丸が貫通するのは目に見えている。彼を助けるためには、銃撃を止めさせなければ。

私はゆっくり後ろを振り返り、バックパックを少しずつ動かし、腹ばいになり撃ってくる方へ進もうとしたとき、左手に柔らかいものがあたった。

頭を低く低くして見ると、手巻寿司(まぐろ)だった。

「さっき食い逃したものか。」

口の中に広がる唾液を飲み込むと腹ばいのままバックパックを前に押し出し、ほふく全身をはじめた。

熱せられた砂漠が、私の体重のかかった手首を焼き、またバックパックに砂が積もり重くなってくる。

だんだんそれも辛くなってきたところで、部下はどうしているかと横目で見ると、立ち上がってひざに手をおいて、腰を落としたり上げたりしている。落としたり。あげたり。

もう、何もいう気になれん。

もう、彼を助けようとするのを止めようかと思ったが、自分が助かるためでもあるか、とまた一歩前に進んだ。

私を助けるんだ、私自身を。そう思わなきゃやっとれんよ、あの姿を見たら。

いつからああなっちまったんだろ。まったく中身のない疑問が頭をよぎるが、弾丸が鍋に当たる音がおとなしくなってきたように聞こえから、もうちょっと聞いていよう。

その時、風の轟音が吹いたかと思うと一切銃弾のはねる音も何も聞こえなくなった。

「あれ、止みましたね。」突然耳元で部下が平然と声を出した。

さっきまでの奇行と言えるほどのことをしていた男とは思えない。

「驚きましたよ。さっきの行動。猫背になりながら手のひらを空に向けて前後に出し入れしてたでしょ。狂っちゃったかとおもいましたよ。」

私のほうです。そう思ったのは。

「しっかりしてください。どうやら弾が打ち止まったみたいですよ。行きましょう。」

部下のくせにえらそぉに、と憤りが胸を焼いたが、まぁ待て。さっきまで狂っていた男の相手を真剣にしても仕方が無い。

このまま先を歩かせたほうが、安全かどうかがわかるじゃないか

私はバックパックを勢いよく背負い、鼻歌を歌いながら先へと歩く部下の後を追った。

マーガリンぬりトーストの香りが漂っていた。

 

続く


第一話 昨日に引き続いて晴れ
2004/11/06
(殿誠)

 暑い

 皮膚から直接水分を奪い取るような暑さだ。目の前に蜃気楼が浮かんでは消えていく。目的地まで後どれくらいの距離があるのか、わかっているはずなのにわかっていない気分にすらなっていく。

 砂漠は三時間前の景色とすら見分けがつかない。こうした代わり映えのない世界を歩いている所為か、背負った補給物資がやけに重く感じられた。

 隣を歩いていた部下が突然呻き声を上げて砂の中へとダイブした。砂まみれになった顔を私に向け、彼は酷くつらそうな声で現状を嘆いた。

「もう限界ですよ…、これじゃあ食料を届ける前に、僕らが死んじまいますぜ」

「弱音を吐くな、この砂漠の向こうの街で僕たちの食料を待っている人たちがいるんだから」

「でも、これじゃあ助けるはずの僕らが助けを欲しがることになりかねないですよ…、っていうか、最悪死ぬかも」

 彼の言うことも尤もだった。砂漠を越えた街から食料を背負って既に五時間以上も歩き続けているのだ。

 私はバックパックに括りつけられたコンパスを確認してみた。銀と赤に色分けされた針は五時間前と同じ、進むべき道を北と示している。コンパスが壊れていなければ、もうすぐ目的地にたどり着くはずなのだ。

 私は舌を出し、ひいひいと滝のような汗を流している彼を見た。

「大丈夫だ、きっともうすぐ着くよ」

 おざなりな励ましをし、私たちは目的地の方向を睨みつけながら再び歩き出した。

 一斉掃射のような太陽の日差し。絶え間なく汗が流れているはずなのに、パリパリと乾燥した音を立てる皮膚。私は目の前がぼやけてくるのを感じていた。

 飢えはそうでもないが、喉の渇きが激しい。背負った食料が私を誘惑してくる。買い込んだ中に、確か水のペットボトルもあったはずだ。

 だが、それを飲んでいいものかどうか。

 未だに水も飲めず、食べるものもなく、夜眠ることにさえ不自由している人間がいると言うのに。私なんぞがこの貴重な水を飲んでいいのだろうか。

 しかしながら、此処で私が倒れてしまえば本末転倒。それこそ期待して待っている人々への裏切りではないか。

 いや、私が水を飲むことによって本当は飲めるはずだった人間に水があたらない事態になることだってあり得る。

 そんなことを考えていると、隣を歩いていたはずの部下の姿が見当たらない。慌てて辺りを振り返ると、少し離れた砂の陰で一人休む部下の姿が目に飛び込んできた。

 彼の手に握られた透明なペットボトル。遠目からでもすぐにわかった。止める間もなく彼はペットボトルの口を開け、自分の顔に振りかけた。

 もったいないほどの液体が砂に吸い込まれていく。彼は物凄い勢いで水を喉に流し込んだ。ゴキュゴキュと小気味よい音を鳴らしながら、彼の顔に生気が戻っていくのを見つめていた。

 私にそれを止めることは出来なかった。たまらず彼の元へと走りより、私はバックパックを下ろした。中に入っている食料を引きずり出す。

 牛乳、麦茶、ハーブティー、赤ワイン。私は果たしてこんなものを買ったのだろうか? しかし、そんなことはどうでもいい。喉の渇きは彼の所為で絶望的だ。

 私は手当たり次第に喉を潤した。酒を飲めないにもかかわらず、ワインをがぶ飲みした。

「腹も減りましたね…」

 彼の目が黒く歪んでいる。恐らく、彼から見える私の目も同じように歪んでいるのだろう。

 補給物資を届ける、という理性は紙くずのように消え去った。私の手はバックパックの中、買い込んだ食糧へと魔のように伸びている。

 右手がチーズのせトーストを掴んでいる、左手が親子うどんを抱えている。口の中にはみたらし団子とベルベットビターが交じり合い、紫芋の焼き芋の味を奏でている。私はケダモノのように食料を漁った。

 本当にこんなものを買ったのだろうか、という思考など頭の何処にも浮かんではこなかった。そして、これほどまでに餓えていたのか、という疑問もまた浮かんでくることはなかった。

「ちょっと、コレ見てくださいよ…」

 彼の指し示す先に酢豚風肉野菜炒めと麦ごはんが出来たてのように湯気を上げて置かれていた。当たり前のように、私の頭に何故という言葉が浮かんでくることはなかった。目の前に置かれた欲望のはけ口を蹂躙することしか考えられない。

 誘われるように腕が伸び、箸を握り、口の中に詰め込んでいく。舌が、喉が、胃袋が新たなる食料の参入に喜びの声を上げていた。フルスロットルで口を動かしながら、何故だか私は涙を流していた。隣で同じように食料を貪る彼も同様だ。

 涙を流しながらこうして飯を食う我々は滑稽以外の何物でもないだろう、とは思うのだが涙も箸も止まりそうにない。

 空になった皿を綺麗にするかのごとく舐めていると彼が上ずった声を上げた。

「ウホッ! いいブルーチーズ…」

 その言葉に突き動かされるように私は視線をそちらに向けた。ご丁寧に皿の上に、袋を剥かれた状態のブルーチーズが置かれている。

 知らず知らずのうちに私は囁いていた。

「 食 わ な い か 」

 其処から先、私と彼に言葉は要らなかった。争うように突き出した腕が脆弱なブルーチーズを引き裂き、陵辱していく。

 しかし、そのとき予期せぬ出来事が起こった。

 私たちは最後の一欠けらを仲良く分配しあい、口に放り込んだ瞬間気づいたのだ。これが最後の食料だということに。

 彼は私を見つめ、私もまた彼を見つめた。彼の顔は滑稽なほどに青白く染まっていたが、恐らくは私もそうなっていただろう。なんということか、私たちは届けるべき補給物資を全て食べてしまったのだ。

 既に資金もない。これから再度購入を図ることも出来ない。

「どうしましょう…」

 彼の絶望にまみれた情けない声が脳髄に響き渡る。尋ねたいのは私も同じだが、此処でうろたえても意味がないだろう。

 食べてしまったものを戻すことも出来ない。そして、目的地へ戻ることしか私たちには出来ない。あの地を失って私たちが存在できるほど強くはない。

 戻って真実を伝えることが出来るかどうかはわからない。だが、戻らねばならなかった。崩れ落ち、咽び泣く彼の肩に触れる。

「行こう」

 彼は涙でグジュグジュになった顔で頷き、空になったバックパックを背負って立ち上がった。

「僕ら、殺されますかね…?」

 私には答えることが出来なかった。ただ、真実を伝えるべきか誤魔化すべきか、それだけを考えていた。

 一時間もせずに、目の前に目的地が聳え立つ。私たちの帰りを待つ人々がまるで山のような黒い影を作り出していた。


続く
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