暑い
皮膚から直接水分を奪い取るような暑さだ。目の前に蜃気楼が浮かんでは消えていく。目的地まで後どれくらいの距離があるのか、わかっているはずなのにわかっていない気分にすらなっていく。
砂漠は三時間前の景色とすら見分けがつかない。こうした代わり映えのない世界を歩いている所為か、背負った補給物資がやけに重く感じられた。
隣を歩いていた部下が突然呻き声を上げて砂の中へとダイブした。砂まみれになった顔を私に向け、彼は酷くつらそうな声で現状を嘆いた。
「もう限界ですよ…、これじゃあ食料を届ける前に、僕らが死んじまいますぜ」
「弱音を吐くな、この砂漠の向こうの街で僕たちの食料を待っている人たちがいるんだから」
「でも、これじゃあ助けるはずの僕らが助けを欲しがることになりかねないですよ…、っていうか、最悪死ぬかも」
彼の言うことも尤もだった。砂漠を越えた街から食料を背負って既に五時間以上も歩き続けているのだ。
私はバックパックに括りつけられたコンパスを確認してみた。銀と赤に色分けされた針は五時間前と同じ、進むべき道を北と示している。コンパスが壊れていなければ、もうすぐ目的地にたどり着くはずなのだ。
私は舌を出し、ひいひいと滝のような汗を流している彼を見た。
「大丈夫だ、きっともうすぐ着くよ」
おざなりな励ましをし、私たちは目的地の方向を睨みつけながら再び歩き出した。
一斉掃射のような太陽の日差し。絶え間なく汗が流れているはずなのに、パリパリと乾燥した音を立てる皮膚。私は目の前がぼやけてくるのを感じていた。
飢えはそうでもないが、喉の渇きが激しい。背負った食料が私を誘惑してくる。買い込んだ中に、確か水のペットボトルもあったはずだ。
だが、それを飲んでいいものかどうか。
未だに水も飲めず、食べるものもなく、夜眠ることにさえ不自由している人間がいると言うのに。私なんぞがこの貴重な水を飲んでいいのだろうか。
しかしながら、此処で私が倒れてしまえば本末転倒。それこそ期待して待っている人々への裏切りではないか。
いや、私が水を飲むことによって本当は飲めるはずだった人間に水があたらない事態になることだってあり得る。
そんなことを考えていると、隣を歩いていたはずの部下の姿が見当たらない。慌てて辺りを振り返ると、少し離れた砂の陰で一人休む部下の姿が目に飛び込んできた。
彼の手に握られた透明なペットボトル。遠目からでもすぐにわかった。止める間もなく彼はペットボトルの口を開け、自分の顔に振りかけた。
もったいないほどの液体が砂に吸い込まれていく。彼は物凄い勢いで水を喉に流し込んだ。ゴキュゴキュと小気味よい音を鳴らしながら、彼の顔に生気が戻っていくのを見つめていた。
私にそれを止めることは出来なかった。たまらず彼の元へと走りより、私はバックパックを下ろした。中に入っている食料を引きずり出す。
牛乳、麦茶、ハーブティー、赤ワイン。私は果たしてこんなものを買ったのだろうか? しかし、そんなことはどうでもいい。喉の渇きは彼の所為で絶望的だ。
私は手当たり次第に喉を潤した。酒を飲めないにもかかわらず、ワインをがぶ飲みした。
「腹も減りましたね…」
彼の目が黒く歪んでいる。恐らく、彼から見える私の目も同じように歪んでいるのだろう。
補給物資を届ける、という理性は紙くずのように消え去った。私の手はバックパックの中、買い込んだ食糧へと魔のように伸びている。
右手がチーズのせトーストを掴んでいる、左手が親子うどんを抱えている。口の中にはみたらし団子とベルベットビターが交じり合い、紫芋の焼き芋の味を奏でている。私はケダモノのように食料を漁った。
本当にこんなものを買ったのだろうか、という思考など頭の何処にも浮かんではこなかった。そして、これほどまでに餓えていたのか、という疑問もまた浮かんでくることはなかった。
「ちょっと、コレ見てくださいよ…」
彼の指し示す先に酢豚風肉野菜炒めと麦ごはんが出来たてのように湯気を上げて置かれていた。当たり前のように、私の頭に何故という言葉が浮かんでくることはなかった。目の前に置かれた欲望のはけ口を蹂躙することしか考えられない。
誘われるように腕が伸び、箸を握り、口の中に詰め込んでいく。舌が、喉が、胃袋が新たなる食料の参入に喜びの声を上げていた。フルスロットルで口を動かしながら、何故だか私は涙を流していた。隣で同じように食料を貪る彼も同様だ。
涙を流しながらこうして飯を食う我々は滑稽以外の何物でもないだろう、とは思うのだが涙も箸も止まりそうにない。
空になった皿を綺麗にするかのごとく舐めていると彼が上ずった声を上げた。
「ウホッ! いいブルーチーズ…」
その言葉に突き動かされるように私は視線をそちらに向けた。ご丁寧に皿の上に、袋を剥かれた状態のブルーチーズが置かれている。
知らず知らずのうちに私は囁いていた。
「 食 わ な い か 」
其処から先、私と彼に言葉は要らなかった。争うように突き出した腕が脆弱なブルーチーズを引き裂き、陵辱していく。
しかし、そのとき予期せぬ出来事が起こった。
私たちは最後の一欠けらを仲良く分配しあい、口に放り込んだ瞬間気づいたのだ。これが最後の食料だということに。
彼は私を見つめ、私もまた彼を見つめた。彼の顔は滑稽なほどに青白く染まっていたが、恐らくは私もそうなっていただろう。なんということか、私たちは届けるべき補給物資を全て食べてしまったのだ。
既に資金もない。これから再度購入を図ることも出来ない。
「どうしましょう…」
彼の絶望にまみれた情けない声が脳髄に響き渡る。尋ねたいのは私も同じだが、此処でうろたえても意味がないだろう。
食べてしまったものを戻すことも出来ない。そして、目的地へ戻ることしか私たちには出来ない。あの地を失って私たちが存在できるほど強くはない。
戻って真実を伝えることが出来るかどうかはわからない。だが、戻らねばならなかった。崩れ落ち、咽び泣く彼の肩に触れる。
「行こう」
彼は涙でグジュグジュになった顔で頷き、空になったバックパックを背負って立ち上がった。
「僕ら、殺されますかね…?」
私には答えることが出来なかった。ただ、真実を伝えるべきか誤魔化すべきか、それだけを考えていた。
一時間もせずに、目の前に目的地が聳え立つ。私たちの帰りを待つ人々がまるで山のような黒い影を作り出していた。
続く
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