超絶倫戦士 スペルマン（仮題）
登場人物
・ぼく
・布団の中身
・友人Ａ
・友人Ｂ
・友人Ｃ
・青年Ａ
・青年Ｂ
１―ⅰ（部屋１）
窓からはもう日差しが漏れ入ってくる。薄明るい部屋。通りの音。
ぼくが目を閉じて寝台に仰向けになっている。しばらく静止。この間、動きらしい動きは一切ない。まぶたがわずかに動く程度。寝具は胸元まではだけている。
少し離れた場所から見ると、ぼくの下腹部をおおっている蒲団が異様に盛りあがっている。その中に人間が一人うずくまっているかのように。
ぼくの手がその箇所に触れる。（布団が不安げに身じろぎする）。ぼくの手は布団の巨大な突起を揉むようになでる。
布団の背中まで手がまわった時、ふいにぼくの目が開く。しばらく静止。身を起こして下腹部の突隆を見つめる。
中味が布団をかぶったまま、猛スピードで走り去る。足をもつれさせながら、進路にあるものをなぎ倒して行く。テーブルから灰皿が落ちる。ややあってドアの閉まる音。
掛け布団を奪われたぼくは手持ち無沙汰に手を握ったり開いたり、身をよじって時計を見たりするが、やがて取り乱しはじめ、錯乱の末、何やら意味不明のことを口走ったりする。布団をめくって中を見る。枕を床に投げつける。
かなり経ってぼくはベッドから降り、外出着に着替える。寝間着を丸めて捨てる。目覚ましのアラームが鳴り、止める。
１―ⅱ（並木道）
セミの鳴き声が聞こえる。並木路を歩く。葉の隙間から背高い杉のような樹木がのぞく。
《目覚ましのアラームも、セミの声もぼくにとっては耳鳴りに等しい。一晩のうちに失ったもの―。眠ったことと起きたこと、どちらが悪いのかわからない。一鞘の内にある粒よりの豆が残らず転がり落ちてしまったような。残ったのはこの粗末な体だけ。残った方と逃げ去った方、どちらも同じ血の流れるものには違いがない。しかし、あいつはもう一人のぼくそのものだった。あいつとこっち、つまりぼくの身体を較べてみれば、あっちはなんと隆々とした、気品にみちた姿だったろう。男らしく浅黒い肌、筋張った体躯とまだ幼さの残る美しく血の通った頬。見事につりあいの取れた肉体をぴんと張り、姿勢はあかつきの山上に降り立ったヘルメスさながら。―恐るべき喪失感。》
二人連れの青年とすれ違う。
「３６５人の妹がお兄ちゃんの童貞を奪い合うバトルロワイアル」ひとりが楽しげに向き直りながらいう。
「今なんていったの？」もう一人が言う。
尋ねた方は会話に読点を打つように自分のももをたたく。もう一人は真っ直ぐ向いたまま歩き続けた。
「無人島で？」
「バトルロワイヤル！」
会話を聞きながら、ぼくは彼等の目元や鼻筋、唇、首筋などを見つめ、視線はくだってやがて一人の股間に達する。男たちはこちらを見つめ返しながら通りすぎる。ぼくはその後姿を見送る。
歩く。
２―ⅰ（部屋２）
すでに人が中にいて、廊下にまで騒がしい声が聞こえてくる。ぼくは無言で中に入る。その足音に部屋は静まり、一様にぼくをみる。ぼくは無表情に視線を逸らし、小声で挨拶をする。にぎやかさが戻る。
雑談。部屋は煙っている。折りたたみ本だな、棚、テレビ台、学習机、レンジ、炊飯器、冷蔵庫、ハンガーバー、ポスター、クーラー、箱、プラモデル、服のつまった箱。
一人目が何かをぼくに問い詰める。
ぼくは床に座ったまま返事をしない。尋ねた男はあらためて目の前の人物をしげしげと眺めた。彼の酔眼が細まる。ぼくは無表情で自分の足先を見る。
「本当に何もわからないんだ」違う人物がぼくをなじる。
はじめの男がのぞきこむ。
「本当に」二人目が身を引いていう。「ああいうことをされることこそが、あの人があなたに対して期待していたことだって、わかっていたというわけじゃないの」
ぼくは動かず、男が少し声を荒げる。テーブルを、リズムをとって強くたたく。ぼくは相変わらず返事をしない。あまり強くたたいたので、灰皿が落ちる。ぼくはそれを見る。膝を抱えたぼくの手は握り締められている。手は少しも動かないが、体を堅くしているわけではない。
三人目がなだめる。ぼくはその方に顔を向け、それから再びもとの姿勢に戻る。
なだめる人物に一人目の男の矛先が向けられる。このやりとりの途中、三人目はやおら立ち上がって冷房を消し、窓を開ける。それといっしょに物音が鈍く聞こえる。
「でも、わざとでなかったらそういうことにはならないと思うのだけどね」三人目がやや穏やかに尋問する。
窓の外で木がゆれる。ぼくがほんの少し動く。車の通る音。
二人目の人物だけがぼくの動きに気づく。全く違う見方で頭からつま先までを見る。車が通る。「いやだねこの界隈は」
「問題は、本当にやったのかどうかだ。それだけは言ってほしいな」最後にもう一度尋ねる。「もう聞かない」
また車が通る。男はあきれ果てる。なにかをうめく。
二人目は何も言わなかったが、心持ち首を傾げる。
ぼくの沈黙のうちに車の音が高まっていて、他の音が消える。
ぼくは手をほどいてひざを軽くなでる。なで終わると口を開く。「知らない」
３―ⅰ（公園）
公園でひとしきり遊ぶぼく。
３―ⅱ（部屋１）
カーテンが閉まっていて、暗い部屋。テレビから性交に伴なう呻吟。それとは別に男の息遣い。画面が逆光になってぼくの姿を浮かび上がらせる。
《どんなにぼくがあいつを愛していても、限界があった。ぼくがいつも欲望の対象としているものはあいつを越えたものであることを、あいつに示す何かがあった。そして、あいつは、ぼくが欲望の対象にしているものと同じでないことを知っていた。もしぼくが要求すれば、あいつはあいつ自身で応えてくれただろう。たとえ別々に存在するという観念が要求の理由でなかったとしても、今ではあいつの不在がぼくの弱々しい要求と結びついている。それは今、迫害として体験された。失ったものが大きすぎたのだ。離別のすべての不幸が胚胎するのは、相手といささかの興味の一致もなく、共感することもないという不満、恐るべき焦燥、許された距離を踏み越えてくるあらゆるものに対する頑強な拒絶によるのではなかったか。ぼくの手に触れない隠しどころはどこにもなく、自分のを傷つけられたかわりに、相手の肛門も思いきり傷つけてやったという確信を持っていたのだとしたら、ぼくはこれほどまでに打ちのめされてはいないだろう。》
いっそう闇が増している。絹擦れと鼻をすする音以外は沈黙する。ビデオテープがまき戻される音。
３―ⅲ（浴室）
ぼくが湯船に膝を抱えて漬かっている。全裸。ぼくはいつまでも湯から出ない。
《もし、ぼくの様子がすこしは落ちついていることを根拠に―まったくばかげた想像だが―もし、この時のぼくの様子を超然としていると見てとって、ぼくの苦しみがやわらいだと一時でも思うものがあったら、―まったくばかげたことなのだが、とんでもない思い違いだ。今日ぼくがみた何もかも、信号機の点滅だって、電柱だって、密集住宅街だって、影だって、塗装のはがれかけた針金の柵が何百メートルももしかしたら１キロもつづいて草がゆれている運動場だって、何もかもぼくは見ているのだったから。この目で。……ここでこうして。……ぼくの目を皆が持っていたら誰にでもわかったことだろうに。》
沈黙
《―ネコジャラシをひきぬいてきたんだそうだ。これ以上はだめだって。これ以上続けてもお互いによくないって、おれがそう言うとあいつはそういうと思ったといった。まぶしかったから目を細めて、おれは覆い被さるようにして目をさえぎってやった。目を閉じたままで。
えーと。
（間）
涼しくなってきたといったから、ちょっと時間をおいて―（間）ちょっと間をおいて、おれは身体をはなした。
立て！ 豚！ 前進！
今何時だろう。（間）
―六時半だって。風が強い。１９９８年６月１８日。
二人で車に乗って広いまっすぐな道を通った。ああ、ネコジャラシがたくさん生えていたっけ。ずっと田んぼがつづいていてため息みたいな音をたてながらいっせいに押し倒されていた。それに―
あいつの残していった花瓶がある。何も活けていない。活けたのはあいつだけだった。路傍の花を。スミレのような花。違うかな。おれはあいつが死んでくれればいいと思っていた。（間）すごく精神的に貧しい１年だった。この時期になると猫がいっせいに赤ん坊のような声で鳴くのだが、今夜は鳴かない。求愛の鳴き声だそうだ。生まれて４,５年だろう。（間）そのくらい経てばおれも愛の歌を歌うのだろうか。》
３―ⅳ
テーブルの上の電話が鳴るが、とらない。
電話が鳴るが、またとらない。
４（部屋２）
友人二人の会話。
「どうしてあの二人が、二人ともがいなくなったのか理由を聞かせて」
「ぼくは何も知らないけど」僕の想像ではと前置きして言う。「二人きりでいるときに話題がなくなって、黙りがちになって、お互いに、そうした気まずさが夜にも、それから昼にも広がっていったんじゃないですか」
「じっさい狭い部屋だものね、貧乏ゆすりが響くぐらい」
「ええ、それから、カーテンを閉めているじゃないですか、いつも。その中でたぶん身体を寄せるのも厭になった」
尋ねた方は肩を落とす。「夜にカーテンを開けるとね、表の信号機が部屋の中を照らすのよ、まぶしいくらいに。窓を開けたら涼しいのだけど。そうはしなかった、絶対に。」
（間）
「いいかげん心配でしょう」
「ええ」
「助けられるものなら―。彼がちょっと変になったのは、皆、例の疑惑が原因だと噂してますね。」
二人は儀式のようにカップを飲み干す。「カフェインが利いてくるには少し時間がかかるから、３０分くらいの昼寝の前に飲んでおけば目覚めがいいのよ」
「それは面白い話を聴きました」興味の薄そうな反応。唇が潤い、外光がそれを浮かび上がらせている。
以下、どうでもよい話。
……
突然、「僕たちは間違っているのかもしれない」
「そうね」
男は改めて女に話し掛ける前に少し待った。そして、どういうことかわかるか尋ねた。
「初めから？」
「ええ、初めから。彼は初めからいなくなるつもりだったのかもしれません」
「そんな、いつから」
「もともといなかったように」
「もう死んだのかしら」
「死んでいるべきでしょうね」
女は立ちあがり、くるりと向きを変えた。男は何も言わず床を見つめていた。しかし、女はノブに手をかけていてそれを見なかった。
彼女は日の照りつける道で、熱い風に向き合った。
女が出た後、男は見送るわけでもなく立ちあがった。そして、窓を開けた。
・一言感想
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