おまえ…ドッペルゲンガー…ッ!!
歳進院殿誠

 真夜中のチャイムで目が覚めた。眠たい瞼を擦りながら、ドアを開けると目黒君のそっくりさんが其処に立っていた。
「ただいま」
「部屋間違えてませんか?」
 そう言って扉を閉めた。大方酔っ払って帰ってきて、部屋でも間違えたのだろう。大きく欠伸をして、目黒君は再びベッドに潜り込んだ。眠りはすぐにやってくるだろう。瞼の裏側で三角や四角の光が明滅し、さながら催眠術のように深い眠りに誘ってくれた。
 だが、その眠りを、再びチャイムが妨害した。いい加減にしてくれ、と目黒君は寝返りを打った。枕で耳を押さえ、聞こえない振りをする。チャイムの嵐が部屋の中に満ち、眠気はあっという間に彼岸の彼方へと消え去ってしまった。
 舌打ちしながら立ち上がり、髪をボサボサと掻きながら目黒君はもう一度ドアを開けた。其処に、やはり目黒君のそっくりさんが不気味な笑顔を浮かべて立っている。
「ただいま」
「マジでいい加減にしてくださいよ、何時だと思ってるんですか?」
 目黒君のそっくりさんは大きく口を開けたまま固まってしまった。想像していたどの行動とも一致しない目黒君に驚いて開いた口が塞がらない。
「いやあの…、俺、あなたのドッペルゲンガーなんですよぉ…」
 力なく呟くと、目黒君は欠伸をして、そうですか、とだけ言った。此処で弱気になるのはいけない、とドッペル目黒君は思い直し、再び邪悪な笑みを浮かべて一歩だけ玄関に足を踏み入れた。
「俺はドッペルゲンガーなんだ、お前と入れ替わりに来たんだよ…」
「もう本当、勘弁してくださいよ、夜中の三時ですよ? 僕じゃなかったら殴られてますよ」
「話を聞けよ…、俺はお前と入れ替わりに来たんだ…」
 精一杯邪悪な笑みを浮かべていたが、段々と情けなくなってきた。ドッペルゲンガー講習会の時に聞いた話では、現れただけで恐怖に竦み、怯えてノイローゼになっていくといっていたが、目黒君は絶対にそんなことはなさそうだ。ドッペル目黒君はそれでも邪悪な笑みをたたえたまま、もう一歩玄関の中に入った。
「ちょっと、靴脱いでくださいよ」
 心底迷惑そうに目黒君は言った。怒気を孕んだ言葉に押されてドッペル目黒君は思わず靴を脱いでしまった。その行為を終えて、しまった! と思い顔を上げると、目黒君が軽蔑するような視線を向けている。
「まぁ、そんなに中に入りたいんならいいでしょう、とりあえずおあがんなさい」
 尊大に目黒君は言った。言い終えるとスタスタと部屋の中に戻ってしまう。ドッペル目黒君は慌ててその背中を追った。
 電気を点け、ベッドに腰掛けて目黒君は煙草を吸っている。ドッペル目黒君は所在無さ気に部屋の中を見回していた。これが俺の家か、とそんな気持ちで一杯だった。ようやく俺も一国一城の主になれるんだ、そんな希望で胸がいっぱいになったが、冷たく見据える目黒君の視線に気づいて俯いた。その前に、こいつを何とかしなきゃなぁ、と絶望にも似た考えが頭の中に浮かぶ。
「適当に空いてるところに坐ってくださいよ、立って話すのも疲れますし」
 その言葉にせっつかされるようにドッペル目黒君は部屋の隅に腰を下ろした。普通に坐ろうと思ったが、目黒君の視線が怖いので正座した。まるで、教師に怒られる生徒のように縮こまりながらチラチラと視線だけを上げて目黒君を見る。目黒君は足を組み、煙草をくゆらせながら威風堂々という風にドッペル目黒君を見ようともしない。馬鹿にしてやがる、とドッペル目黒君は思ったが、思っただけだった。
「で? なんか話したいんじゃないの?」
 語り口が正に尊大だ。思わずドッペル目黒君は萎縮した。小さくした体を更に小さくして、か細い声で喋り始めたが、聞こえない、と冷たい声で言われて更に萎縮してしまった。
「あの…ですねぇ、僕はあなたのドッペルゲンガーで、ですねぇ…」
「もうちょっとはきはき喋れないかなぁ? どうにもそういう喋り方が嫌いでね」
「す、すみません…」
 謝ってから、しまった、と思ったが後の祭りだ。ドッペル目黒君の体は信じられないほどに小さくなっている。逃げ出したい、とまで思ってしまった。だが、此処で逃げてはドッペルゲンガー講習会の同期生に笑われてしまうので、その考えを頭の隅に追いやろうとした。
 勇気を振り絞ってキッと顔を上げる。目黒君を睨みつける。
「俺は! ですねぇ…」
 最後まで続かなかった。ドッペル目黒君が睨みつけるよりも強く、目黒君がドッペル目黒君を睨みつけていたのだ。ドッペル目黒君は思わず震え上がり、ちょっとだけ小便を漏らしてしまった。嫌悪の感情を眉間に表しながら、目黒君は先を促す。
「ですねぇ…、あの…ドッペルゲンガーって知ってますよねぇ…?」
「知ってるよ、知識としてならね」
 灰皿に灰を落としながら、目黒君は答えた。沈黙が流れる。どうしよう、とドッペル目黒君は思った。ドッペル目黒君の中では、ドッペルゲンガーを説明し、その恐ろしさを説明し、目黒君を恐怖に陥れようという魂胆だったのだが、その策略は見事に失敗してしまった。
「で、なに? あんたが俺のドッペルゲンガーってことなの?」
「そそそそそうなんですよ!」
 声が上ずった。
「話では、ドッペルゲンガーっていうのは恐ろしいものだって聞くけどさ、あんたって全然怖くないよね」
 はっきり言われてガックリと項垂れた。これでも、ドッペルゲンガー講習会では一・二を争う成績だったのだ。あの頃積み上げたプライドが粉々に砕けていく音が、ドッペル目黒君の頭の中で鳴り響いていた。そのちっぽけなプライドにすがるようにして出た言葉が、目黒君の興味を惹いた。
「これでも、ドッペルゲンガー講習会では一・二を争う成績だったんですよぉ…、そんなに怖くないですか…?」
「うん、っていうか、ドッペルゲンガー講習会なんてあんの?」
「え、ええ」
「どういうこと教わんの?」
「いやまぁ、対象の怯えさせ方とか、成り代わり方とか…」
「へぇ、面白いね、やっぱりアレ? ドッペルゲンガーはその元々の人間を怯えさせて殺すっていうのが目的なわけ?」
「いえ、目的はやっぱり成り代わることで、でも、一番言われたのは元々の人間を怯えさせることですね…」
「ふぅん、じゃあさ、こういうことになんのかな? 怯えさすことが出来なかったら、元々の人間、つまり俺は死なないってこと?」
 不意に、顔が青ざめた。思っても見なかった。正しく言えば、目黒君の反応自体が想像の範囲外だった。ドペルゲンガーの先輩の話では、大抵の人間は怯えてノイローゼになり、自滅に近い形で死んでいくと聞いていたのだ。この状況のように、逆にドッペルゲンガーが脅されるなど聞いたことのない話だ。これをもしもドッペルゲンガー講習会の教師に言ったならば、不名誉な笑い話として後世まで残ることだろう。それだけはなんとしても避けたい。
「ねぇどうなの? 俺があんたに怯えなかったら、俺は生き続けるってこと?」
「いえ! そんなことはありませんよ、ありませんともさ! ドッペルゲンガーを見た瞬間から、入れ替わるカウントダウンは始まるのですよ!」
「嘘臭ぇな…、俺が怯えねぇのにどうやって入れ替わるんだよ?」
 そ、それは…、と言葉が詰まった。なんと答えていいのだろうか? ドッペル目黒君は頭をフル回転させたが、答えはやっぱり出てこなかった。
「それとも、普通に殺すか?」
 ドッペル目黒君は思わず顔を上げた。目黒君は二本目の煙草に火を点けながら、ドッペル目黒君よりも邪悪な笑みを浮かべている。間違いなく、争いあえば負けるのはドッペル目黒君のような気がした。生唾を飲み込んで、エヘヘ、と軽く笑いを浮かべてみる。
「エヘヘ、じゃねぇよ…」
 目黒君が立ち上がり、煙草の灰をドッペル目黒君の頭の上に落とした。熱くはなかったが、熱い気がした。
「夜中に何度もチャイムして人起こしといて、エヘヘじゃねぇんだよ、クソが…、おめぇで何人目だと思ってんだよ?」
 ドッペル目黒君は思わず後退さった。蛍光灯が目黒君の顔に影を作っている。表情を歪ませたまま、目黒君はドッペル目黒君の足を蹴りつけた。
「おい、聞いてんのかよ?」
「あ、はい、聞いてます…」
「ドッペルゲンガーってよ、おめぇで八人目だぞ? 一体なんだって俺のところにばっかりくるんだよ、おい」
「す、すみません…」
「謝ってすむと思ってのかよ? 人の安眠邪魔したり、バイト中に現れたりよぉ、人の迷惑っていうのは教えてないんですか? あんたんとこではさぁ!」
 ドッペル目黒君の髪を掴んで、目黒君は耳元で大声を上げる。ドッペル目黒君は思わず涙ぐんでいた。頭の中で、ドッペルゲンガー講習会の教員が冗談交じりに話していたことが回っている。
 この世の中には、ドッペルハンターと呼ばれる人間もいるので、もしも入れ替わる対象がドッペルハンターだった場合は速やかに逃げましょう。
 よりによって…! とドッペル目黒君は己の不運を呪った。顔面を殴られて、背中を壁に押し付ける。逃げなければいけない、と四つんばいのまま玄関へと這っていこうとした。その背中を踏みつけられ、蛙のような悲鳴を上げる。
「逃げてんじゃねぇよ…、マジでさ、いい加減ウザいんだわ」
 逃げようにも踏みつける力が強すぎる。全体重が片足に乗り、背中を踏みつけている感じ。肋骨が折れそうだ。開いた口から舌が伸びてきた。ヒィー、と喉の奥からかすれた空気が吐き出される。ドッペル目黒君は苦しそうに、フローリングの床に爪を立ててガリガリと削った。
 目黒君がそんなドッペル目黒君の背中から足を離し、髪を掴んで顔を上げさせた。目黒君の右手には包丁が握られている。
「何度来ても無駄なんだよ、今までもこれからも返り打ちにするだけなんだからな…」
 包丁がドッペル目黒君の頬を裂いた。一筋血が流れ、暖かいものが股の間に流れた。恐怖が全身を駆け巡り、ドッペル目黒君の喉の奥から悲鳴が溢れる。五月蝿ぇ! と叫んで目黒君がその頬を張った。
「ガタガタ騒いでんじゃねぇよ、チンピラァ…」
 涙と鼻水と脂汗でぐちょぐちょの顔を持ち上げてドッペル目黒君は目黒君の顔を見た。そっくりであるはずの目黒君の顔は、自分とは似ても似つかないほどに歪んでいた。包丁の刃についたドッペル目黒君の血を舌で舐めながら、狂気に歪んだ笑みを浮かべる。
「知ってるか? 俺になってねぇドッペルゲンガーは死んだら消えてくだけだってよぉ…」
 瞬間、玄関のドアが開いた。二人そろってその方向を見る。ドッペルポリスが其処にいた。向けられた銃口が目黒君の動きを制止させる。
「ドッペルハンターの目黒だな! 動くなよ」
 赤いレーザーを目黒君の額に合わせたまま、ドッペルポリスはずかずかと部屋の中に入ってきた。助かった、とドッペル目黒君は素直に息を吐いた。だが、その髪が引っ張られる。喉に包丁が押し当てられた。
「それ以上こっちに寄って来るんじゃねぇ…」
「た、助けてぇ…」
 情けないほどに掠れた声を出して、ドッペル目黒君は哀願した。だが、赤いレーザーは容赦なくドッペル目黒君の額にも伸びてくる。
 ドッペルハンターのドッペルゲンガーはドッペルハンターの素質を持っているのだ、とそのときドッペル目黒君は思い出してしまった。
 銃声が部屋の中に轟くことはなく、微かな反響だけを残してドッペル目黒君と目黒君の体はその場に崩れ落ちた。一ミリのずれもなく撃ち抜かれた額からは血も何も出てこなかった。ただ、穴だけが開いていた。
「ドッペルハンター、及びその素質者を排除に成功」
 そのままドッペルポリスは部屋の中に入り、ありとあらゆる場所を調べ始めた。
「酷いものですな、この目黒という男、特A級のドッペルハンターですよ」
「自分の顔をした人間を殺せるんだ、ドッペルハンターは人間ではないよ、正に悪魔だ…」
 目黒君の部屋の中に、何人ものドッペル目黒君が溢れ返り、それが霧のように消えていくのを確認して、ドッペルポリスは部屋を出た。ドアに空き家と書かれた紙を貼り、振り返りもせずに立ち去った。



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